秘伝の刻印製法で限りなくミクロな刻印に挑戦
刻印彫刻師 岸本 治
プロフィール
1933年岡山県生まれ。株式会社キシモト彫刻社代表取締役社長。高校を卒業後、1956年東京へ出る。機械彫刻の組合事務所を紹介されたことがきっかけで、恵比寿にある彫刻社に入社。その後、手彫りで行う刻印彫刻の分野を知り、関東でもすぐれた技術を持つ塩入製作所に弟子入り。機械彫刻に加え、最初から仕上げの段階までタガネやキサゲを使用してハンドワークで彫る手彫彫刻を学ぶ。その後、独立。1964年尼崎で有限会社キシモト彫刻社を設立。現在は放電加工、NCフライス加工、成型研削加工などにも取り組み、精度を必要とする加工を得意としている。



1)親方秘伝の手彫技術   2)2つの優れた技術   3)技術の伝承 自身への挑戦

1)親方秘伝の手彫技術
 岸本治さんはこの道51年の彫刻師。これまで最先端の彫刻機と自身の技を駆使して、さまざまな刻印彫刻を手がけてきた。従来は、手作業の部分が多かったが、精密機械加工やコンピューター制御のNC放電加工機などを導入し、顕微鏡を用いて、どんな小さな文字、模様、複雑な形状のものの彫刻も可能としている。
 岸本さんは精密機械を使っての高度な彫刻技術もさることながら、刻印する文字をタガネやキサゲを使って手彫りする技術に秀でた人でもある。この技術は、岸本さんが弟子入り時代に培ったもの。約8年もの歳月をかけて、この技術の習得に努めたという。「かつての刻印製作の現場は、現在のように機械彫刻が主流でなかったため正真正銘の手彫りで行われていました。私の親方は刻印製作のなかでも、最初から仕上げまで、タガネやキサゲを使い、小槌で少しずつ打ち込んで削っていくという特殊な刻印法をあみ出した人だったんです。私も必死でこの技を体に叩き込ませる努力をしました」と振り返る。
 岸本さんは現在も、親方の手彫り技術を受け継いでいる。タガネやキサゲを使って、文字や模様のコーナー部分などを修正し、刻印の鮮明度を上げ、他社にない専門性を発揮している。
 手がけたもののなかには文字が肉眼で識別できないほどの小さなものもある。ルーペをのぞきながら、箸よりも細いタガネを小槌で打ち、焼き入れ前の鋼材に文字や商標を刻んでいく。岸本さんの手によって0.5mm角の隙間に文字が刻まれていく。これらは、作業者の技術が製品の優劣を決めると同時に、本人のセンスが不可欠。また、客からの規定の書体を厳守したうえで、鮮明さも要求されるため、高い彫刻技術を要する。岸本さんが手彫りを進めると、リズムよく動く指先が、まるでやわらかい羊羹を彫っているかのような錯覚に陥る。まさに妙技だ。

2)2つの優れた技術
 岸本さんの作業を見ていると、2つの優れた点に気付く。1つはタガネを手先で微細に扱う点。その高い技術は、機械彫刻加工を行った後の仕上げ作業において見られる。
 岸本さんは、機械で行う加工作業は、あくまで刻印彫りの下ごしらえと考えていると話す。「機械の先端に取り付けた刃物は微細な針先のような刃物。しかし、その加工はあくまで回転運動のため、回転切削による文字の内角はアール(半円形)でしか仕上がらない。角隅の鋭角さが要求されるアルファベットのWや、数字の2のような場合、アール部分を鋭角に削り出すのは、鋭い刃先のタガネによる手作業でなければ不可能なのです」。岸本さんに言わせると、これが機械彫刻の限界だという。最終仕上げは、岸本さんの手彫り技術へとバトンタッチ。岸本さんのハンドワークによる精密な手彫りを加えて、完璧な製品として仕上げて行く。これらは長年の経験と勘に基づく職人技。岸本さんの手先の器用さに加え、弟子入り時代に厳しい修練にて獲得した技の賜物といえる。そのため注文は全国から集まってくる。機械にも勝る技術をもつゆえんだ。最近では大手メーカーからの引き合いも増えており、岸本さんの技術の間口を広げる結果となっている。
 次に挙げられるのが、さまざまな用途へ使い分けるための道具を巧みに作り出す技術。岸本さんの仕事は道具の研磨から始まるといってもよい。手彫刻印はさまざまな形をしたタガネを使い分ける。彫る材料の硬軟や、文字の大きさ、形状にあわせて、自らが研磨した道具が必要になるのだ。使い込んでいくと短くなっていくタガネはたたいて火造りし、焼き入れの作業を行う。タガネの先端は1ミリ先をさらに小さく四分(しぶ)・片刃(かたば)・キサゲと作り分けるそうだ。加工も肉眼ではその違いが見極めきれず、ルーペをのぞいて調整を行う。「道具の研磨だけなら数年もかからないが、切れ味の鋭い道具として仕上げるのに10年はかかりますね」と岸本さん。繊細な道具を作り出す技術もその妙技を支える礎となっている。

3)技術の伝承 自身への挑戦
 現在、岸本さんは国内では製作不能とされているロール刻印(猟銃、ライフル銃に唐草模様をローリングによって刻印する技術)に挑んでおり、ヨーロッパやアメリカのハイテク技術を導入。切削では不可能な高精度の製品開発に力を入れている。「ローラー刻印は、付加価値の高い製品としてのイメージアップを要求される超精密刻印です。特殊なノウハウが必要であり、文字や模様を入れることで、商品価値を上げる役割を担っています。他社ができないものに取り組み、より精密でミクロな刻印に挑戦して行きたいですね」と話す。
 岸本さんは5名の職人に、機械彫刻をはじめ手彫彫刻の技を伝承中だ。「昨年に入社した2名の女性にちょうどタガネ、キサゲ造りを教えているところです。彼女たちも、私が親方に教わったこの『秘伝』を継承する技術者へと成長してくれることが、今の私の願いですね」と笑って話した。その言葉のなかに「自分でこの技術を伝えたい」という職人としての熱い思いが感じられた。

ひょうご経済戦略 2006年5月号『匠の技』より。
(財)ひょうご産業活性化センター



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